コラム
ぼくが贔屓にしている映画監督は今のところ二人います。それはスタンリー・キューブリックとジェームズ・キャメロンです。この二人の作品は全て見ましたし、ジェームズ・キャメロンの場合は、彼が監督としてメガホンをとった作品だけではなく、プロデュースした作品もほとんど全て観てきました。その代表作はハート・ブルーとストレンジ・デイズですが、この作品についてはまた後にこのブログの中で触れることになるだろうかと思います。
このように自分の好みの監督がメガホンをとっている作品であれば、その映画の評判がどうであれ、実際に面白いかどうかも別として、絶対にその作品を観にいきます。既に上映が終わったものではあれば、必ずそのDVDを観ます。しかし、残念ながらスタンリー・キューブリックはもうこの世にはいませんので、彼の新作がこの世に発表されることは二度とはありませんし、ジェームズ・キャメロンもタイタニックで大成功を収めて以来、映画製作の現場から離れてしまって、次の新作が発表されるのも2009年になるという話なので、ぼくにとっては寂しい限りの状況が続いています。
本当の映画好きというのは、このように好きな映画監督の一人や二人は絶対にいると思うのですが、映画というのは音楽や小説とは違って、かなり大勢の人間によって制作されるものですので、監督の持っている個性がなかなか作品の中に反映されにくいという一面があります。特にハリウッド映画の場合はそうです。ハリウッドのどの映画を観ても似たり寄ったりという感じは否めません。ですから、よほどの映画好きでない限り、どの映画をどの監督が撮ったかということはなかなか分からないだろうと思います。第一、小説の場合だと、一人の作家がSFもミステリーも、あるいはホラーもラブロマンスも書くということはほとんどあり得ませんが、映画の場合だと、一人の監督が実に様々な種類の作品を作るということがよくあります。ぼくが好きなスタンリー・キューブリックも、SFからホラー、戦争映画からシリアスドラマまで実に様々なジャンルの映画を手がけていますので、仮に彼の全ての作品を観たとしても、それらの作品がすべて同じ一人の監督によって撮影されているとは、よほど映画に詳しい人でない限り分からないだろうと思います。
このような結果になってしまうのは、映画の場合にはかなりの資金がかかり、そのコストを上回る収益を確保しなければならないという問題がありますので、制作者サイドが監督の個性ばかりを全面的に押し出すことを忌避するという傾向もあるのでしょう。裏を返せば、自分の個性を全面的に押し出して映画を作れる監督というのは、それだけ周囲から信頼されている監督だという証拠になるわけですが、残念ながら、そのような才能に溢れた監督はなかなかそう簡単に世に出てくるものではありません。特に大金がかかるハリウッドでは、多くの監督が雇われ監督としての地位に甘んじなければならない場合がほとんどのようです。
そんな中で、スタンリー・キューブリックとジェームズ・キャメロンは自分の個性をその作品の中で存分に発揮しているように見受けられます。だからこそ彼らは二人は、ぼくのような映画好きにはよく好まれるのです。しかも、彼らの持っている個性は特に突飛なものではなく、万人に受け入れられやすいものですから、彼らの作品の多くが大ヒットを飛ばすことにもなったのだろうと思います。そして何より、この二人はとても丁寧に一つ一つの作品を作っています。どのシーンを観ても必ずこだわりがあり、なおかつ粗がない。もっとも、今から何十年前に撮られた映画というのは、映画製作の技術が今ほど進歩してはいませんでしたので、全く粗がないといえば嘘になりますが、それでも同年代に撮られた他の映画に比べればその出来映えには雲泥の差があります。まさに映像の精密細工を観ているという感すらします。
したがって、彼ら二人の作品は何度でも飽きることなく鑑賞することができますし、むしろ観れば観るほど新たな発見や感動があります。彼ら以外にもこのような才能を持った監督が出てくれればと願っているのですが、ハリウッドの中で監督としてスターダムに上り詰めるには、単に才能だけではなく、運にも環境にも恵まれなければならないはずですので、今後も彼らのような才能が現れることはなかなかないかも知れません。
一応、参考までに彼ら二人の作品の中で、特にぼくの気に入っている作品を紹介しておきます。
ジェームズ・キャメロン監督作品
エイリアン2 完全版
アビス 完全版
ターミネーター2
トゥルーライズ
タイタニック
ジェームズ・キャメロンプロデュース作品
スタンリー・キューブリック監督作品
ロリータ
2001年宇宙の旅
時計じかけのオレンジ
バリー・リンドン
シャイニング 特別版 コンチネンタル・バージョン
フルメタル・ジャケット

